【コラム】「男はつらいよ」に見る、生きやすさとは
2016/09/13
スポンサーリンク
寅さんの住む町は住みよいか?
柴又駅前の風景。寅さんの銅像が出迎えてくれる。
ここから歩いてすぐに帝釈天参道に出る。
映画「男はつらいよ」の舞台と言えば東京葛飾柴又。この舞台なくして寅さんは成り立たないくらい「男はつらいよ」は柴又という地域に根差した映画。
この「男はつらいよ」に描かれている柴又に住む人たち。そこに出てくるのは、ひと昔前の日本での生活。参道のみやげ物屋や飲食店が立ちならぷという住宅地とはかけ離れた場所ではあるものの、シニア世代には古き良き時代、若い人たちには昔の生活を垣間見せてくれる映画とも言える。
いきなり「とらや」のお勝手に裏庭から入ってくるタコ社長。昼間はお茶を飲み、夕飯時にはおかずをわけてもらう。いまは近しい間柄とはいえ、いきなり家に入ってきてしまえば不法侵入罪だ。
寅さんがたまに帰ってきて、参道ですれ違う自転車に乗った男に一言、「おぅリンゴ屋、相変わらずバカか」。すかさず「バカはてめぇのほうだ」と応酬。いまでは、立派な名誉棄損罪になるかもしれない。
お寺に行けば、寺男の源公がいつもぶらぶらと仕事をしている。たまに寺の近くにいる子供をからかい、ときには追いかける。いまならきっと不審者として扱われるか、子供の親からクレームが入る事態。
ただこの映画ではこれら全部は、ストーリーのアクセントとして入るシーン。軽く笑えるお決まりの場面。まさかこれらが犯罪行為に置き換えて見る人はそうはいないだろう。
この映画の中の柴又界隈に暮らす人たちは、今ではおとがめをくらうかもしれないことが日常茶飯に起こっていてもどこかのんびり暮らしているのが伝わってくる。
それはなぜかと考えてみると、きっと生活全体に「隙がある」からではないかと思う。
タコ社長がいつでも入ってこられる家の隙、「バカ」と言われて本気で怒らないでいられる隙、子供が知らない人と遊んでいることが許される隙。いわば隙だらけな時代。そして、そこにいる人たちもその隙を容認している。
いまプライバシーが堅く守られることが常識で、個人情報保護法が施行されている現代。「男はつらいよ」が撮られた時代と比較すればネット社会になり個人の情報が流失し、そこから犯罪につながることもある時代背景を考えれば、昔ほど隙を見せてはいけない時代になったということかもしれない。
ただ、「男はつらいよ」の柴又に生きる人たちを見て、どこか羨ましさを感じる人は時代を追うことに多くなっているのではないだろうか。そう考えると、もう少し隙を見せてもいい社会にしたほうがよほど暮らしやすく生きやすいのではないかと思う。一度失敗してもうまく社会の中に入れなくてもどこかで生きる隙があれば、なんとか生きていけると心の隅で安心できるのではないだろうか。
「男はつらいよ」がいまだに見続けられているのは、昔の時代には戻れなくて、かつての時代を知るための古典映画として生き残る役割も担っているということなのかもしれない。
私は柴又はよくぶらりと訪れ、写真を撮ったり江戸川まで散歩をしたりするいわば慣れた町。ただ柴又の参道も実際に来てみれば映画で見るほど隙はなくそこにあるのは現代の町のひとつにすぎないという現実が見えてしまったときは少し悲しさを感じるのだが。
Feb-15-2013 Up
- 当ページのリンクには広告が含まれています