東京オリンピックをゆく 2007年11月
2019/02/06
2016年のオリンピック立候補地に東京が名乗りをあげています。
未来の東京オリンピックの動きから、1964年に行われた東京オリンピックに今一度フォーカスしたくなりました。
コンシェルジュ瀬川もまだ生まれてない時代に行われた東京オリンピックを改めて探す旅です。
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2016年への息吹がきっかけに
改めて東京オリンピックに意識したのは、原宿駅前で2016年東京オリンピックへの署名活動をしている場面に出くわしたのがきっかけでした。
何気なく署名に応じたところ、ピンバッジをもらいました。「立候補都市・東京」のデザインされたもの。
それをしばらく見ているうちに、かつての東京オリンピックはどんなものだったのだろ、と急に知りたい気持ちが湧き出てきました。
よく考えてみれば、いまの東京にはまだたくさんの東京オリンピックの産物があるではないか、ではそれをいくつか見て回ろうと思い立ったのでした。
2016年東京オリンピック誘致への署名参加したときにもらったピンバッジ。このバッジから旅が始まりました。
選手村のあった代々木公園
いまでは、都民の憩いの公園である、代々木公園。ここは東京オリンピック時は、選手村として各国選手団を迎え入れていました。
代々木公園には、いまでもその名残を留める建物が残っています。
代々木公園入り口にある沿革を書き記したレリーフ。大戦から大きな出来事にかかわった公園であることを改めて知ることができます。
代々木公園内にももちろん大会誘致を宣伝するのぼりや垂れ幕が掲げられていました。
のぼりの横には、ボードに1964年東京オリンピックの写真やポスターが展示されていました。このポスターに見覚えがある方は多いことでしょう。
全部で4種類の公式ポスターがありました。
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代々木公園に残る選手宿舎
代々木公園内には、当時の選手宿舎がそのまま残されています。公園を散策した方ならご存知の方も多いのではないでしょうか。
水色のラインが当時の若々しい意気込みを感じさせるオランダ選手用の選手宿舎がそれです。
宿舎前には、この建物の解説をした看板があります。
遠くから見ると、どこか時代を感じさせる小さな家といった感じ。なんとなく可愛いイメージもします。
玄関先。いまでも古い外国人用住宅としてこのようなタイプの建物をたまに見かけます。当時としては斬新なものだったのかもしれませんね。
そして、代々木公園の隣には、東京オリンピックで使われた代々木体育館があります。丹下健三設計による代々木体育館は建築物としても見る価値があるものです。
メインは国立競技場
東京オリンピックメイン会場となった陸上競技場を国立競技場と一般では呼ぶことが多いですが、正式名称は、国立霞ヶ丘陸上競技場となります。
開会式での入場行進、聖火台への点火シーンが有名。1964年に行われた日本の転換期ともなったイベントを感じてみたいと訪ねてみました。
国立競技場の聖火台を望んでみたショット。1964年の盛大なオープニングを想像してみると当時の活気が感じられそうな気がしてくるのが不思議です。
聖火台。この地に当時の最終聖火ランナーの坂井義則氏が聖火を点灯しました。
聖火台のある競技場のある最上段から競技場と東京を眺めてみるとこのような風景が。1964年から比べたら東京は、とてつもない変貌を遂げました。
折りしもこの日は、東京国際女子マラソンの開催日。またこのような熱いスポーツの闘いがオリンピックとして東京で開催されるでしょうか。
これらの地以外にもまだたくさんの東京オリンピックに関連した施設や場所などがあります。
「東京オリンピック 1964」などもご参考にしてください。
1964年東京オリンピックの映像はいくつかよく資料映像としてみますが、一番鮮明でまとめられているのが、市川崑監督が製作した『東京オリンピック』です。
当時の様子が克明に記録されています。走り高跳びのマットが切れ端のウレタンを敷き詰めたものであったことに驚きました。さらにマラソンシーンでは、当時の東京の街の様子、人々の様子もうかがうことが出来ます。見る人それぞれに新しい発見がある映像だと思います。ぜひ、一度ご覧になってみてください。
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