瀬川陣市 フォトグラファー 公式サイト

フォトライフコンシェルジュとして 写真家・講師・ライター などで活躍、フォトララ写真未来研究所代表

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沢村栄治の生誕100周年を伊勢で撮ってみた

プロ野球の年間の最優秀投手に贈られる沢村賞、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。その冠となった沢村とは巨人の沢村栄治選手のこと。豪快なフォームから投げる高速球や落差の激しいドロップで来日したべーブ・ルースなど全米チームからも奪三振ショーをくり広げた伝説のピッチャー。

2017年はその沢村選手の生誕100年となるとのこと。宇治山田駅前の沢村選手のゆかりの地を巡ってスナップ撮影してきました。

昭和6年に開業された宇治山田駅。伊勢神宮の鉄道での表玄関としても有名です。テラコッタ・タイルで装飾された駅舎は建築物としても一見の価値があります。現在は宇治山田駅は伊勢市ですが、沢村が生まれた当時は宇治山田市でした。

その伊勢山田駅の真向かいにある古い明倫商店街の入り口には、「沢村栄治生誕の町」と大きな看板が掲げられていました。

商店街は昭和の雰囲気のままの姿で残っていて、いたるところに「生誕100年」ののぼりがあります。静かにこの町出身のスターをアピールしている感じ。

当時の写真のコピーもポスターとしてあちらこちらに貼られています。

商店街の中には、生誕100年に合わせて全力石と名付けられた石碑を建立。

石碑には「人に負けるな どんな仕事をしても勝て しかも堂々とだ」という文字が刻まれています。これは沢村選手が彼の弟に手紙で残した言葉だそうで、人に巻けるのが嫌いでなにごとにも努力を惜しまずに全力で向かった彼の生き方を表しているとのこと。生誕100年を記念してこの石碑に全力石と名付け後世に伝え続けています。

商店街の裏手には、沢村選手の生誕の地の石碑もあります。かつてはここに実家がありました。いまは駐車場となっていてその一角にこの石碑が建っています。

石碑には野球のベースの上に彼の背番号である「14」が刻まれたボールも。巨人の背番号「14」は永久欠番。ちなみにプロ野球初めての永久欠番になったのが沢村の14番だそうです。

先ほどの「全力石」のところには沢村が眠る墓の案内図がありました。どうぞ墓参もしてくださいということで案内されているのでしょうから、訪ねてみることに。

商店街から歩いて10分ほどのところにある墓地に沢村栄治の墓はありました。大きなボールには巨人の「G」のマークが、裏には背番号の「14」が刻まれています。

沢村は昭和19年に3度目の応召で日本陸軍伍長として戦地に赴いてました。そのときに乗っていた輸送船が台湾沖で撃沈されて戦死。享年27歳。墓前で静かに手を合わせてきました。

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